PANASONIC CF-R9
終のPCか CF-R9

 ビジコン社に端を発した4004、8080や8085マイクロプロセッサーが出てきた頃、ワンボードコンピュータ Intel SDK-85 でせっせとマイクロプロセッサーなるものの理解に努めたり APPLE II でI/Oボードを介して機器制御を試みたりもしていた中、ガラパゴス的な国産デスクトップ機が台頭してきた。その頃移動観測機器を制御する必要があり、EPSON HC-88 ラップトップコンピュータでシステムを組み一式をアタッシュケースに入れて移動していたりもしていた。移動先では宿の赤電話で音響カプラを介して測定データの転送も試みていた。

EPSON HC-88

 その後、デスクトップ機はさておき日本国内アチコチへ移動することが多かった中、どうしても移動に利便性の良い小型なノートパソコンに目が行っていた。軽薄短小好きなこともあり、目にとまったのは Toshiba Libretto 20 だった。IBMからはウルトラマンPCの愛称で同様なタイプが商品化されていたと思う。この頃はモデムで電話線を経由してインターネットへ接続する習わしで、出先の宿の電話器モジュラージャックの極性チェッカーなるものも持ち歩いていた。

TOSHIBA Libretto 20



極性チェッカー

 アラン・ケイのダイナブック構想がもてはやされた時代もあり、まさしくそうしたネーミングのノートPCも商品化されていたが、ノートPCは軽薄短小に尽きるとの思いで、その後も CASIO社 MPC-206(CASSIOPEIA FIVA)へ乗り換えていた。求めていたイメージぴったりの商品で、やはりアチコチへの移動のお供だった。唯一時代性もありCPUがもう少し高速だったらとの印象である。

CASIO MPC-216XL

 その後更に酷使に耐えるべく CASSIOPEIA FIVA をパワーアップする必要が生じ、これまでの延長線上の軽薄短小機と云うことで PANASONIC CF-R2 を導入、その後中古品の CF-R9 へ乗り換えHDDをSSDへ換装したり、汚れたトップパネルを CF-R8 の物と交換したりしながら長い事ほとんど連続長時間酷使し続けた。そして梅雨明けが遅く、九州地方の豪雨や東北北海道が38℃を超えた夏、いじくり尽くして親しんだ CF-R9 を今後も安定して使い続けるため、程度の良い同型機へ乗り換えることとした。まずは Windows 10 へアップグレード後SSDのクローンを準備。探し出した同型機は驚くことにバッテリー駆動時間6時間超かつ内外相当綺麗で使用感無く、発売10年近く経過した今頃どうしてこんなものが存在するのか、どう考えても新古品と思えるものだった。Windows 認証も無事済ませて、別掲 AVENSIS 同様これも終のPCか。

CF-R9 SSD Clone
クローンSSD組み付け中

 話はそれるがまとまった数のノートPCが必要となり、大きさ的にもまた慣れ親しんでいることもあり、CF-Rシリーズであれば用意出来るとネット接続しない前提で Windows XP ジャンク中古品を複数台入手、整備し Windows 認証後活用している。

CF-R maintenance
整備中の入手 CF-R シリーズ


Return